好きな時に、自分好みのスタイルで、手軽に自由に楽しめるのが「芋活」のよいところです。でも、相手は命ある生き物ですから、それなりの節度をもって楽しむことも必要だと考えています。
ここでは、「芋活」を楽しむうえで、私たちが大切にしたいと思っていることをお伝えしておきます。
先にも書きましたように、「芋活」とは、
“チョウやガやハバチの幼虫である「イモムシ・ケムシ」たちを愛で、 人目を気にせずなりふりかまわず、その世界を存分に楽しむこと” です。
イモムシ・ケムシは、よく見ると可愛らしいし、観察したり、ふれあったり、飼育したりすると、とても癒される存在です。身近な自然に、こんな生き物がいてくれることは、かけがえのないほど素晴らしいことだと思っています。
でも、「芋活」には、悩ましいこともたくさん含まれるのもまた事実です。「人目を気にせずなりふりかまわず」と書きましたが、なるべくなら踏み外したくない「芋活ポリシー」とでも呼びたくなるものがあるように思っています。
いつでも忘れたくないのは、イモムシ・ケムシたちは、身近な自然の中で懸命に生きている野生の生き物なのだということです。大げさに言えば、地球のうえに暮らす私たちの同士と言ってもいいかもしれません。
いもむしたちを観察したり、ふれあったり、採集して飼育したりすることは、彼らにとっては、きっと迷惑でしかありません。ほんとうはそっとしておくべき彼らの世界に踏み込んで、いろいろ邪魔をしながら、小さな命に付き合ってもらっているのが「芋活」なのだと思います。
ではなぜ、そんな悩ましいものを、わざわざ皆さんにおすすめしたりするのでしょう。
正直、はじめからクッキリ曇りのない理由があったわけではありません。でも、いろいろ取りくんできて、今の時点で強く思うのは、「こんなに不思議で素晴らしい イモムシ・ケムシの世界を通じて、たくさんの方々に、身近な自然の豊かさや かけがえのなさを知ってもらいたい」ということです。
「芋活」への私たちの思いは、たとえば、こんなことです。
・イモムシ・ケムシは、可愛らしく、とても癒される存在だけど、決してそれだけでは終わりたくない。その姿の多様性や、変態の不思議、他の生き物とのかかわり合いなど、彼らの驚くべき世界を広く深く探求し、紹介していきたい。
・フィールドで、イモムシ・ケムシを観察することは、自然の中にお邪魔すること。なるべく(自然というものに)迷惑をかけないようにしたい。自分たちの行動が環境にどんな影響を及ぼすかをいつもイメージしておきたい。
・イモムシ・ケムシを持ち帰って飼育することは、自然から命を預かること。食糧不足などでうまく飼えそうにない場合や、最後まで面倒を見る覚悟がもてない場合は、決して持ち帰らないようにしたい。
・イモムシ・ケムシの「死」は、忌み嫌うべきことではなく、彼らの世界を知るための絶好の機会。いもむしの体から出てくる寄生蜂や寄生バエの存在も尊いし、菌に侵されて死んだいもむしも美しい。イモムシ・ケムシを捕えて食べる天敵のこともしっかり観察したい。
まだあまりうまく書けませんが、このようなことです。
綺麗ごとだけではない、イモムシ・ケムシの広大な世界を、このサイトを通じてみなさまと共有し、身近な自然の不思議を楽しんでいけたらと思っています。